かの「上地雄輔物語」が、来年、ドラマ化される、とのことで。
かつて、ここでも書いたけれど
【記事→コチラ】、ドラマチックで、ミラクルにあふれた、彼の“これまで”は、ドラマとして描くのには充分なエピソードが、ふんだんに含まれている、と思う。
いまや「ホームレス中学生」だって、ドラマにも映画にもなったんだから、別に、違和感は感じない。
で、思ったこと。
今、時代は、上地くんのような“キャラクター”を求めている、ということなんだろうな、と。
つまり。
不景気だったり、暗い事件が多かったり、そういう世間にあって、彼の、ひまわりみたいにお日様にまっすぐただ一直線な“キャラクター”を、求める人が多い、というか。
例えば、「セレブと貧乏太郎」は、ワーキングプアでもシンデレラボーイになれちゃったりなんかして、っていうファンタジーだし。
「スクラップ・ティーチャー」も、学級崩壊が言われて久しい中に熱血で純粋な先生(と王子様みたいな生徒たち)がいちゃったりしたら、っていうやっぱりファンタジーだし。
どちらの役柄も似通っていて、っていう批評もあるらしいけど、結局のところ、上地雄輔という役者に求められている“キャラクター”が似通っているんだから、って話で。
要は、時代のニーズに即している、というワケ、なんじゃないだろか、と。
逆に考えれば、今が好景気の真っ只中だったら、彼のような“キャラクター”は、とどのつまり受け入れられなかったかもしれないな、とも思うわけで。
だからさ。
調子に乗れる時に、乗りたいだけ乗っちゃえばいいじゃん、って。
乗れる時に乗らないで、いつ乗るんだよ、って。
乗りたくても乗れないのは、ごまんといるわけで、って。
それはただの“ひがみ・やっかみ”じゃん、って。
思うんだなあ。
そんな、オイラの、ひとりごと。
ヾ(・∀・)