実はこの本、
「文芸あねもね」と一緒に、新聞で紹介されてて、買ったもの。
だから、出来れば本当は、今年の3月11日には読み終えて記事を書きたかったんだけれど。
…間に合わなかった…。
ものすごく、ものすごく読むのに時間がかかったわけは。
…いや、言い訳など本当は必要ないのかもしれないけれど…。
この作品も、元はインターネット上で公開されたもの。
「それぞれ一章ずつ、打ち合わせなしの即興でひとつの小説を書き上げ、佐々木中の公式サイトにおいてリアルタイムで募金を求めるというものである。」(筆者による前書きより)
そこに両者独自の最後の章を書き下ろして、決定版となったもの。
いとうせいこう、という人に関しては、ずっと前からいろんな顔を垣間見てはいて。
天才てれびくんのビットワールドで、子ども達に夢と希望と、ちょっと斜め前を行くオトナの毒を見せてくれる、セイコー(セイコローニ監督、好きです!!!)だったりするかと思えば。
新聞で毅然とした評論を繰り広げる論客だったりもし。
もちろん、それ以外にもいろいろと、いわばサブカルチャーの伝道師みたいな。
けれど、佐々木中という小説家については、これまで何も知らなかった。
…そこに、落ちて楽しい、落とし穴があった。
敢えて断言するならば、せいこうの小説は、すごくすごく読みやすかった。
わかりやすかったし、想像しやすかったし、会話もあったし、複雑ではなかった。
つまり“普通の”小説だった。
それに対し、佐々木氏の小説は、すごくすごく読みにくかった。
怒涛のように綴られていく言葉の渦、振り仮名がもっと必要だと思うような難解で特殊な単語、途切れたり千切れたりを繰り返しながらひたすら繋がる文体、そして、容易に想像を許さない情景の移り変わり。
つまり“あまり普通じゃない”小説だった。
しかし、その落とし穴、さっきも書いたが、落ちれば楽しいものだった。
じっくりと丁寧に、言葉の渦に埋もれ、単語を読み解き、文体を追って行けば、いろんな情景を脳内に再生することが出来たから。
と、まあ、そんなわけで、落とし穴にそうそういつでも落ちてるわけにはいかないので、時間がかかってしまったのだ。
…ということに、しておいてください…。
いやしかし、不思議な体験の繰り返しでもあった。
「タイトルの『Back 2 Back』とは、複数のDJが一曲ごとに、相手の出方を見ながら交互に曲をかけて行くことで、『フリースタイル』と同じく、ヒップホップの即興技法の一つである。」(前述と同様)
という通り、違う話なのに、チラリと同じ風景が見えたり、同じ言葉が不意に出てきたりして、「あっ。」という発見がとても面白く楽しめた。
作品が生まれたきっかけは、東日本大震災、という未曾有の悲劇だった。
しかし、産まれた作品は、決して悲嘆にくれるものでもなければ、ひたすらに頑張ったり絆を求めたりするものでもなく、ただ淡々と、過去を回顧したり、日常を過ごしたり、時間を追いかけていくものだったり。
それが“生きる”ということ、なんじゃないだろうか、と、思った。
この作品をきっかけに、せいこうは新しい小説を完成させたそうだ。
近いうちにそれも手に入れて、虎視眈々と勝利のみを求め続けるセイコローニ監督のようにのさばり生きてやろうと思う。(いや、ちょっと、それ、違うんじゃね?)