大丸心斎橋北館(旧そごう)にて開催中の、金子みすゞ展へ行ってきました。
前半は、みすゞ(本名テル)の生い立ちから、子ども時代、学生時代、投稿詩人として頭角を現した頃、結婚・出産、そして自死、その後再発掘再注目されるようになってからを、順を追って、丁寧で分かりやすい文章とパネルで、紹介されています。
テルあるいはみすゞを回想する、恩師や友人達の言葉が、彼女の人物像をあぶり出してくれるかのようでした。
注目すべきは、実際に彼女の詩や文章が掲載された冊子はもちろん、彼女直筆の手紙や、形見の着物や端切れ、そして、詩人・金子みすゞの証とも言える実弟の元に残された3冊の自作の詩集。
これらの実物が展示されていることで、より、みすゞという人物の輪郭が、リアリティを持って浮かび上がってくるのです。
その中で、いちばん胸にぐっときたのは、みすゞが自死する直前のくだりでした。
具体的に何が書いてあるわけでもないのに、言葉に出来ないみすゞの“想い”のようなものが、じんわりと、かつ突然に、去来してきたのでした。
自死を認めるわけではありません。
ですが、当時の女性に置ける立場や相手(元夫)を考えると、彼女の取った行動は、強い強い意志を表す為には最善かつギリギリの決断だったのではないかと思ったのです。
詩作にも現れていますが、彼女は“逆転の発想”の天才だったのではないか、と私は思います。
つまり、並みの人々が見る目線とは、逆あるいは違う方向から、物事を見つめる天才。
そこに、自身の文章における教養の深さと才能があいまって、数々の名作が生まれたのではないか、と。
その、本質を突いた想像力の豊かさに、皆、心奪われ惹きつけられるのではないでしょうか。
それらが結実したものが、後半の展示と言えるかもしれません。
多くの著名人による、みすゞの作品に触発されて寄せられた数々のメッセージ。
ある人は絵を描き、あるいは写真を撮り、詩にメロディをつけて歌い、色紙にしたため、落語を創作し、そして、様々な想いを語っています。
中には、小学校の教科書で子どももよく知る作家さんの名前があり、また、誰もがよく知る漫画家の作品もあり。
その中で、私にいちばん響いてきたのは、リリー・フランキー氏の直筆の原稿。
なんて素敵な、なんて情にあふれた、なんてあたたかい字なんだろう、と。
そして、最後の最後に、みすゞ…いえ、テルが、まさに命を懸けて守った娘・ふさえさんの穏やかな笑顔が。
本当に安堵の想いでいっぱいになりました。
日々の動向や浮き沈みの激しい現実に生きていて、私の想像力は、くだらない妄想で終わっているのかもしれません。
でも、それを否定する気はありませんし、それが私の抱えている日常です。
ただ、私は、それがたとえ逃げ道に過ぎなくても、それが自分自身だと思うしか術がありません。
ですが、金子みすゞという、とても可愛らしく聡明な強い女性の“想い”に触れることで、そんな自分でも少しは強く生きられるように、力をもらえるような、そんな気がしたのでした。